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カフェレーサーの愛したロックンロール

ジーン・ヴィンセント

カフェレーサー(ロッカーズ)の歴史を紐といていくと、逸話として必ず出会うくだりがあります。

along such a route where the rider would leave from a café, race to a predetermined point and back to the café before a single song could play on the jukebox, called record-racing.
「ジュークボックスで1曲かけて、ライダーがカフェから出発しルートに沿ってあるポイントまで行き、曲が終わる前にカフェに戻ってくるレース。これはレコードレーシング(ジュークボックスレース)と呼ばれていた。」

(出典:wikipedia英語版「Café racer」)

この「ジュークボックスレース」でどんな曲がかかっていたのか気になりませんか?日本のバイク乗りが聴く音楽はなんとなくネオロカやヘヴィメタが多いのかなという気がしますが、オリジナルロッカーズはどんな音楽を聴いていたんでしょう。調べてると英語版ウィキぺディアにこんなくだりがありました。

The Rocker subculture was associated with 1950s and early-1960s rock and roll music by artists such as Gene Vincent, Eddie Cochran and Chuck Berry
「ロッカーズの文化はジーン・ヴィンセント、エディ・コクランやチャック・ベリーといった1950年代~1960年代初頭のロックンロール・ミュージックと結びついていました。」

(出典:wikipedia英語版「Rocker (subculture)」)

はっきり明記されている資料が少ないので推測になりますが、ロッカーズの時代は1950年代中頃(マーロンブランドのワイルドワンがアメリカで公開されたのが1953年)から、1960年代初め(1964年のブライトン事件の後ロッカーズは終息していく)の期間のイギリスになりますので、その時代のロックンロールとなるとアメリカからの舶来品、チャック・ベリーやリトル・リチャード、エスケリータなんかの初期ロックンロールか、エルビス・プレスリー、ジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、バディ・ホリー、ビル・ヘイリー辺りの初期ロカビリーのドーナツ盤がジュークボックスにセットされていたはずです。(UKスキッフル系の歌手はややこしくなるのでとりあえず置いておきます。)

騒がしくて落ち着きのない、当時生まれたばかりロックンロールはカフェレーサーにとって最高のサウンドトラックになります。


カフェレーサーの愛したロックンローラーたち

Gene Vincent(ジーン・ヴィンセント)

マーロン・ブランドが主演した「ワイルドワン」を見て、トライアンフのモーターサイクルに魅せられたジーン・ヴィンセント。

高校を中退して海軍に入隊するも、愛車のトライアンフで事故を起こして足に障害が残り除隊。やんちゃな不良少年性が伝わるエピソードですね。除隊後、バンド活動を開始しロカビリー人気全盛期の1956年に「Be-bop-a-lula(ビー・バップ・ア・ルーラ)」でデビュー。これが後にジョン・レノンもポール・マッカートニーもカバーするヒット曲になります。


[Be-Bop-A-Lula]

意外にもアメリカでの初期ロックンロール(ロカビリー)ブームは1960年を前にして陰り始めたため、ヴィンセントは活動拠点をヨーロッパへ移し、ツアー先のイギリスで思いもしなかった歓待を受けます。イギリスはアメリカに遅れてロックンロール人気が全盛期でした。

トライアンフに乗り、マーロン・ブランド譲りのバイカースタイルをロカビリーに持ち込んで新しいスタイルを作ったジーン・ヴィンセント。ロッカーズだけでなくビートルズやローリング・ストーンズ等の新しい時代のロックンローロールバンドにも影響を与えた愛すべき不良少年です。


Little Richard(リトル・リチャード)

師匠であるR&Bシンガーのビリー・ライト譲りのリーゼントに、エスケリータから手ほどきを受けたピアノ演奏、後のアーティストがこぞって真似をしたファルセットにシャウト。ブギー、ゴスペル、ブルースの要素を組み合わせて具現化したロックンロールのパイオニア。ロカビリーキング「エルビス・プレスリー」と並ぶ初期ロックンロールのキングです。
リトルリチャード
黒人でゲイと当時の社会に馴染めない自身のパーソナルから生み出された曲たちは、行き場のないユースのためのアンセムになりました。


[Tutti Frutti] 聴くととにかく踊りたくなる、シンプルなザ・ロックンロールの名曲「トゥッティフルッティ」。


ビートルズ、ローリング・ストーンズはもちろん、ボブ・ディラン、ジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリックスのアイドルで、プリンス、マイケル・ジャクソンにも影響を与え、現代でもアウトキャストのアンドレ3000やブルーノ・マーズにも引用されるインスピレーションの源です。


Buddy Holly(バディ・ホリー)

深夜のラジオ局で流れていたR&Bとカントリーをミックスした音楽を演奏していたホリーは、19歳のときに似たような音楽を演奏するエルビス・プレスリーのライブを見てロカビリーへ傾倒します。その後、ビル・ヘイリー&コメッツの前座を務めたときにスカウトされレコード会社と契約。


[Blue Days, Black Nights]

1957年(21歳のとき)にブレイクしてから飛行機事故で亡くなる1959年2月まで活動期間は短いながら、2つのギター、ベース、ドラムというバディ・ホリーのソリッドなバンドスタイルが現在までロックバンドの基本形として定着していたり、当時与えたインパクトの大きさが計り知れます。この楽器編成で活動していた理由は、単純にビッグバンドを雇う金がなかったからとのこと。


[Love Me]

眼鏡をかけたナードなロックスターというスタイルもジョン・レノンやエルビス・コステロなどのフォロワーを生み出しています。

[映画:シックス・ストリング・サムライ]実は主人公のモチーフはバデイ・ホリーだそうです。


60年後

往年の名車をマン島のマウンテンコースで全開で走らせる世界有数のクラシックマシンレース「マン島クラシックTT」。

そのパドックでは50sトリビュートバンド「Bluejays」によるライブも行なわれています。


本物のロッカーズも集まるこのイベントでBluejaysが演奏するのはジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、バディ・ホリー、チャック・ベリー、リトル・リチャードなどなどザ・ロックンロールナンバー。


めちゃくちゃ躍ってます。
今もロックンロールはカフェレーサーのサウンドトラックであり続けているようです。